痛みを学び、自立をめざす

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僕が慢性腰痛だった頃

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第1章 脳裏に深く刻まれたレントゲン画像

こんにちは。奥野ゆうです。

いきなりですが、実は僕も慢性腰痛経験者です。

10代後半に数年間慢性腰痛に悩まされていました。

なぜ腰痛になり、慢性腰痛へと移行し、その後いかにその状態から痛みを感じないようになったのか。その時の経験を書いていきたいと思います。

 

あれは忘れもしない高校1年生の…

あれ?2年生だったかな?笑

辛かった経験も過ぎ去ると忘れてしまうものですね。たしか1年生の冬か2年生の春くらいだったかと思います。

僕はボート部に所属し、それはもう一生懸命練習に明け暮れていました。なぜボート部に入部したかというと、特に深い理由はなくただ後ろの席の子が入部したから。というなんじゃそりゃな理由でした。ボートと言われても多くの方は全くイメージがわかないと思います。有名どころだと毎年隅田川で行われる「早慶レガッタ」があります。昔はテレビ中継していましたね。(今もテレビ中継があるのかはわかりませんが。)僕と同年代の方ですとドラマ「愛という名のもとに」が一番ピンとくるかもしれません。キャストは鈴木保奈美、唐沢寿明、江口洋介など。脚本は野島伸司。主題歌は浜田省吾の「悲しみは雪のように」とめちゃくちゃ豪華です!トレンディドラマ真っ盛り。バブルの薫りが漂いまくります。このドラマでは男女7人の人間模様が描かれるのですが、なんとこの7人が大学ボート部で青春時代を過ごした仲間という設定なんです。まぁ、僕は当時このドラマの存在を知らなかったのですが、リアルタイムで観ていた一つ上の先輩の代は部員数がとても多かったです。テレビの影響ってすごいですね。そうそう、中学時代はスラムダンクが大人気でバスケ部員が急増してたなぁ。

 

話がそれました。(笑) 後ろの席の同級生が入部するからという理由で見学に行き、そのままボート部に入部した僕ですが、練習に参加するようになって驚きました。ボートってすごくハードな競技なんです。中学時代はテニス部で一応エースで体力に自信があったのですが、必要とされる能力が全く違います。最初は新入生向けに練習日数も少なかったのですが(いきなりキツイとやめちゃいますからね…)、徐々に練習もきつくなり、かなりのやせ型でひょろひょろだった(今もそうですが)僕は、急激に筋肉がついたことで肉割れするほどでした。今思えば全く自分の身体的な特性に合ってなかった競技ですねー。(笑)

生来の負けず嫌いでしかも真面目だったので挫けることもなく、それはもう一生懸命練習に明け暮れました。しかし、徐々に腰に違和感を覚えるようになっていたのです。

 

腰に覚え始めた違和感。迷惑をかけるのは悪いことという思い込み

出場する試合が決まっている。出場するからには少しでも良い成績を残したい。練習を休んだら遅れてしまう。

僕は2人乗りの艇に乗っていました。

僕が休む=練習が全く出来ない。迷惑をかけることになる。

僕がリタイアする=試合に欠場することになる。迷惑をかけることになる。

親に言う=練習休めと言われるかもしれない。

心配かけることになる。迷惑をかけることになる。

 

振り返ると思考がガチガチに固まっていて視野もとても狭いですね。でも、当時は必死でした。

そのような思考に支配された僕は、当然のように誰にも腰が痛いことを言わずにただ耐えていました。限界が来るまでは。

 

ギックリ腰にはならなかったのですが、通学電車で立っているのがツライ、授業中に座っているのもツライ、寝てるときもツライ。 

 

「もう限界だ」

 

試合のシーズンが終わったこともあり、腰が痛いことを親に伝えると整形外科への受診を勧められました。

病院に行き慣れていない僕は、やや緊張しながら病院に向かいます。院内の無機質な雰囲気がさらに緊張感を高めます。

問診票を記入して、レントゲンを撮って、診察です。

「椎間板や骨に異常はないね。ここら辺が曲がって見えるけど。湿布出しとくから様子見て。」

はい、終了〜。

内気な僕はそれ以上なにも聞けず、気持ちも身体も全くスッキリしないまま診察室を後にしました。

ただ、腰椎が彎曲しているレントゲン画像だけがしっかり印象に残りました。

日常と違う空間、緊張してビンビンにアンテナを張っている神経。

能面のような医者の表情と、その背後に映し出された僕の曲がってるように見える腰。

僕の腰は曲がってるんだ。普通とは違うんだ。

不安と湿布を抱えて病院を後にしました。

 

ちょっと補足です。

僕の個人的な考えですが、子供や学生は一生懸命やっている子ほど痛いとか言いません。

でも、痛み始めの原因はオーバーワークが多いと思います。振り返れば僕の腰痛もそうです。早目に休んでいたら慢性腰痛に移行して何年も悩まされることはなかったと思います。

もちろん今でも十分目を配っていると思いますが、変化に気づいてあげられるように、また言い出しやすい環境が整備されるように願っています。その子の今後が変わりますので。

 

第2章 孤独という暗闇

病院から帰った僕が抱いていた感情

医者に、「様子をみましょう。痛みが良くなるまで部活は休むように。」

そう言われて帰宅した、いや、帰宅途中から僕の中には様々な感情が湧き上がっていました。

・病院行ったって痛いのは全く変わらないじゃんか!→怒り。

・部活休めというお墨付きをもらえた。→少しほっとした。安堵。

・医者の冷たい態度。受け入れてもらえなかった感じ。→寂しさ。

・このまま痛みが変わらなかったらどうなるんだろう。というか治らないんじゃないの?→不安。

・なんで痛いのかの理由がわからない→不安

 

思春期真っ盛りの男の子だった僕(ジャニーズJr.のようなかわいい顔してました)は、親にそのような感情を吐き出すことが出来ず、友達に言うことも出来ず。

自分の中でどうにも処理できない感情が、頭の中でグルグルとしていたのを覚えています。

この時の医者が受診の日まで痛みに耐えてきた、不安いっぱいの(ジャニーズJr.のような顔をした)僕の話を少しでも聞いてくれていたら違っていたのかなぁ。と思います。突き放された感がすごかったですから。

とにもかくにも医者からのお墨付きをもらって僕は、部活を休むことになりました。

休部することに対する嬉しさは全くなく、キツイ練習をしなくて良いんだ。という喜びもなく、ただ寂しかったです。

 

今まで生きてきた中で、一番孤独です。

バルセロナオリンピックの平泳ぎで金メダルを獲得した当時14歳の岩崎恭子さんは、

「今まで生きてきた中で、一番幸せです。」とインタビューで話していました。

岩崎恭子さんはhappinessな一番ですが、こちらはunhappinessなナンバーワンです。

休部する時は、休部している間の生活がどうなるかなんて全く考えていませんでした。

 

一言で表すと、

 

ひま、そして孤独

 

あ、二言になってしまいました。

 

腰痛に悩まされる前は毎朝早く学校に行って授業の前にバスケをし、授業中に適度に睡眠をとり、3限の授業の前にはお弁当を食べ終わり、昼休みには学食で昼食を食べ、授業中に適度に睡眠をとり、放課後は部室に直行、部活動の後にはみんなでコンビニで買い食いをし、鉛のように重くなった足で駅の階段を登り、お腹と背中がくっついた状態で夕飯を食べ、泥のように眠る。そんな生活をしていました。

いやぁ~、青春ですね。お父さんお母さんありがとう。

それが休部になった途端に生活が一変します。

授業の始まる少し前に学校に行き、昼休みにお弁当を食べ、授業中に適度に睡眠をとり、放課後は痛む腰をかばいながら自宅に直行、ゲームで時間をやり過ごし、夕飯を食べて眠る。

つまらない。

もちろんこういう生活が楽しく充実感を覚える人もいると思います。人それぞれですから。

でも、身体を動かすことが大好きだった僕にとってはストレスフルな日々だったのは間違いありません。

真面目な僕は、部活を休む=身体を動かしてはいけない。と思い込んで安静を貫いていましたし。

そして、身体を動かせない以上に苦痛だったのは、孤独です。

部活動に一生懸命だった僕には、話をするクラスメイトはいても部活動の仲間以外に仲の良い友人はいませんでした。

ジャニーズJr.のようなかわいい顔をしていたけれど、彼女もいません。(男子校だったんです!笑)

 

圧倒的孤独感!

 

家に帰れば家族がいるだろ。と思われるかもしれませんが、その時の僕は家族がいるというありがたさもわからずに、ふさぎこんで自分の内へ内へ向かっていき、家族ともあまり話しませんでした。家族には甘えが出ちゃうんですよね。

そんなひまな時間を持て余していた僕が、寝るまでの時間をやり過ごすためにしていたのが、テレビゲームでした。

たしかスーパーファミコンのソフトで、「三國志II」という名作(?)をやりまくっていました。

1人の武将を操り、部下に指示を出して他国を占領していき中国全土を統一したらクリア。というゲーム。一度クリアしても操る武将を替えれば延々とプレイし続けられます。

毎日何時間も座り続けてゲームをしていたのですが、不思議とゲームをしている間は腰痛を感じませんでした。

意識が腰には向かわず、果てしなく広がる架空の世界に向いていたからでしょうか。

 

今になって振り返って思うと、この時はまだインターネットがあまり普及していなかったことが当時の僕にとっては良かったのかもしれません。

不安なことがあると、不安を解消したいと思って絶対に色々と調べます。しかも、調べるための時間は豊富にあります。まだ高校生だった僕が色々と検索していたら、情報の波に翻弄されていたに違いありません。

 

暗い顔で学校から帰宅し、ゲームをやり続ける息子のことが親も心配になったのでしょう。

親が以前行ったことのある指圧治療院に行くことを勧めてくれました。

腰の痛みを抱えた冴えない日々から抜け出したいと思っていた僕は、素直にその勧めに従い指圧を受けることにしたのです。

そして、その治療院の先生との出会いが大きな転機となりました。

 

第3章 部活に復帰できた喜びと、新たに作り上げてしまったイメージ

 

緊張と不安を抱えてたずねた指圧治療院。待っていたのは茶髪の先生だった。

母親に紹介された指圧治療院に到着し、ドキドキしながら入り口のドアを開けます。(僕は緊張しいなのです。)

「こんにちは~!」

高めの明るい声で迎えてくれたのは、20代に見える茶髪の兄ちゃん(失礼)でした。

えっ!

イメージしていたのと全然違う!もっと静かな物腰の落ち着いたおじさんかおじいちゃんが先生かと思い込んでいた僕は驚きました。

小さい頃におねしょを治すために連れられて行ったお灸の先生はおじいちゃんだったし。

勝手にイメージして驚いてるのだからどうしようもないのですが、高校生だった僕の世間は狭かったのです。

あ、でも今も狭いですね。自分の世界からしか物事が見られないし考えられない。だからこそ他人の世界に触れられるのが楽しいんですよね~。他人の話を聞くのって面白いですよね。大好きです。

話がそれてしまいました。

話がそれてしまうのが僕の悪い癖。

 

イメージと違う先生を目の前にした僕は、とてもとても不安になりながら自分の腰痛の説明をし、横になり施術を受けました。

約一時間くらいの施術が終わって帰宅し、注意深く自分の腰に意識を向けます。

あれ?楽になってる。常にまとわりついていた重苦しい感じがなくなっています。

これはいいや!やったぁ~!と喜んだのもつかの間。

あれ?こっちに動かすとまだ痛いな。こう動かしてもまだ違和感がある。

まだ治ってないんだな。と、今になって思えば一生懸命に痛いところ探しをしている自分がいたように思います。

そのあと、数回施術を受けてから、もう部活に復帰してだいじょぶっしょ!という許可をもらって部活動に復帰することが出来ました。

整形外科には一回行っただけで、もう行くかこんちくしょう!となったのに、なぜ指圧治療院には継続して通う気持ちになったのか。

一回目の施術で効果を感じることが出来たということもあったと思いますが、何よりも僕の話を聞いてくれた。ということが大きかったのではないかと思います。

「誰も俺の痛み、つらさはわからないんだ」と自分の殻にこもっていた僕にとって、話を聞いてもらえた。聞いてくれる人がいる。とうことが安心感とその場の心地良さにつながっていたのだなと思います。

といっても優しくじっくり聞いてくれたわけではなく、「ふんふん、そうなんだ。だいじょぶだいじょぶ!」といった軽い感じでしたけど(笑)

 

無意識につくりあげた「腰が悪い自分」というイメージ

「腰が悪い」って書いてみてあらためて感じましたが、すごく独特な言い方ですよね。

伊藤かよこさんの『人生を変える幸せの腰痛学校』にも書いてありますが、頭痛の時に頭が悪いって言わないですよね。

肩が痛いときにも肩が悪いって言わないし、足首が痛いときも足首が悪いって言わない。いやぁ~、不思議ですね。悪者扱いされて腰かわいそうだな。

また話がそれてしまいました。

話がそれてしまうのが僕の悪い癖。

 

少し不安を抱えながらも、ようやく部活に復帰できた僕。

それはそれは嬉しかったです。きついメニューも身体を動かせる喜びが勝ってなんてことありません。久しぶりに部活の友達と過ごす時間。テンションあげあげです。

復帰してから何気なく母親が言った、「全く笑わなくなっていたからどうなることかと思ってた。」というセリフは忘れられません。心配かけてたんだなぁ。と。でも、うるさいことは言わずに見守ってくれていたんですね。ほんと感謝です。あ、親父とは言い争いしたりしましたね(笑)それも感謝です。

 

しかし、テンションあげあげだった僕は、すぐにあることに気づきます。

そう、同級生との差がかなりついているという事実に。

それは当たり前なんです。真面目に安静を忠実に守っていた僕と、その間に激しいトレーニングをしていた同級生。これで差がつかなかったら神様は不公平です。

具体的な例を挙げると、腰痛になるまでは同級生の中で持久走では上位を常に走っていました。しかし、復帰後は下から数えた方が早いくらい。もともと身体の線が細く、筋力で劣っていた僕は持久力で勝負していました。しかし、その武器が全く通用しなくなってしまった。悔しかったです。

その悔しさを練習にぶつけ、努力をして挽回すれば良かったのですが、プライドが富士山、いやチョモランマ級に高かった僕はそんな自分を認められず、またそんな自分を周囲にさとられるのが恥ずかしいという思いもあり、違う道を選んでいました。

 

腰のせいにしたのです。腰が痛いから全力が出せない。だから遅くても仕方ない。腰が痛いけど頑張ってます。みなさん分かってくれますよね。というように。

「腰が悪い人。」というイメージを自分にも周囲にも植え付けることで、自分を守っていた。そんな気がします。

 

※ここで誤解して欲しくないのは、慢性腰痛の方が痛みに逃げているということを言いたいわけでは決してないです。慢性腰痛の原因は複雑で様々な要素が絡んでいます。あくまで僕個人の場合であり、僕が自分自身を振り返った時にそう感じているということです。僕のケースも他の方からみたら違う解釈があるかもしれませんし、それでいいとも思います。何でもいいんです、良くなれば。

 

「自分は腰が悪い。」そういうイメージを無意識に作り上げた僕は、これまた無意識にそのイメージを具現化していきました。

 

第4章 まとわり続ける腰痛としびれ、そして変化の時

 

激痛ではないけれど、さまざまな場面で顔を出す腰痛としびれ。確保した居場所と違和感。

部活に復帰した僕は、ある程度動けるけど無理をすると腰痛が出てしまう。

というキャラを確立しました。

(冷静に考えればしばらく安静にしていた人間がいきなりみんなと同じメニューをこなすわけですから、明らかにオーバーワークでした。)

具体的な例を挙げると、長距離を走るトレーニング中、それまで上位を快調に走っている時に抜かされます。しばらく追いつこうと頑張るのですが、あ、これは追いつけないな。と思うと腰が痛くなるのです。それはもう、絶妙なタイミングです。

いつ腰痛で練習をリタイヤするかわからない。そんな人間に漕手(オールを持って漕ぐ人)を任せるわけにはいかない。そこで、細身で体重の軽かったジャニーズJr.のようなかわいい顔をした僕は、他にそのポジションをする部員がいなかった事情もあり、coxになることにしました。(coxとは、舵をきったり漕手に指示を出したりコーチングもする艇の司令塔のようなポジションで漕ぐことはありません。)

みんながやりたがらないポジションであり、本当は漕ぎたいだろうに、腰痛もあるし部全体のことを考えてcoxをやってくれてありがたい。という空気が部内にありました。

僕も表面上は「ホントは漕手でいたいんだけどね。仕方ないよね。てへへ。」という雰囲気を出していましたが、本音の部分では負けるであろうレギュラー争いをしないで済むこと、coxというポジションで部内に居場所を確保できたことに違和感と後ろめたさを感じながらも安堵していました。

もう孤独は嫌ですから。

陸上のトレーニングには変わらず参加していたのですが、部活中に腰が痛くなること、授業中に足がしびれることは続いており、我慢できないくらいになってきたら指圧治療院で施術を受ける。というパターンを現役中は続けていました。

 

そして、慢性腰痛を抱えたままの学生生活が続き、夏前に部活を引退します。

ちなみに部活生活自体は良い仲間に恵まれてめちゃくちゃ楽しかったです。

引退後も身体を動かすことが好きな僕は、自発的に自宅周辺を走ったり、筋トレしたりしていました。

今思えば、この時は腰痛はあまりなかったですね。なんでこの時に気づかなかったんだろ。

当時は映画を観に行き、長時間座っていても脚がしびれた記憶がありません。

「セブン」という映画の結末が暗過ぎて友達と無言で映画館から池袋駅まで帰ったのは良い思い出です。(笑)

 

大学はエスカレーター式の高校に通っていたのでそのまま進学。高校時代のボート部の先輩の猛烈な勧誘を受けて、大学でもボート部に入部しました。同級生も何人か一緒に入部です。

そう、高校から大学に進学しても僕を取りまく人間関係にあまり変化がなかったのです。

 

変わらぬ環境と腰が悪いというキャラ。そして下した大きな決断。

真面目で周囲に合わせる術に長けていた僕は、部活引退から大学入学まであまり腰痛を感じていなかったにも関わらず、高校時代と変わらぬ腰痛持ちのキャラで行くことになりました。

これね、無意識なんです。周りも悪気は全くないんです。むしろ心配してくれているんです。自分も居心地の良さを感じているんです。

 

高校時代から愛用している腰痛ベルトももちろん変わらずです。

うっかりお尻で踏んで「キャッ」と言ってしまってもビクともしません。

さすが、ジャパンクオリティ。

好きだな、腰痛ベルト。

腰痛ベルト、大好き。

ちょっとふざけてしまいました。

 

この頃は少し長い時間歩くと腰に痛み、授業中は脚のしびれが出るようになっていました。

そうそう、小池徹平のような顔に成長した僕に彼女が出来ましたが、一緒に観に行った映画中も脚がしびれてちょこちょこお尻の位置を変えていました。オシッコ我慢してると思われていたかもしれません。違うよ。誤解なんだよ。

 

生活にすごく支障をきたす程でもないけれど、スッキリしない。そんな痛みとしびれを抱えたまま約2年弱の月日が流れ、(約2年弱と書きましたが、ホントにハッキリと覚えてないんですよね。ツラい記憶は忘れるように出来ているのか、過ぎてしまった今では大したことのない過去になっているのか。) 

僕に一大転機が訪れました。

 

部活を辞めることにしたのです。

理由は大学卒業後に通う専門学校の学費を稼ぐため。

常に腰痛のことが頭にあった僕は、この腰痛を何とかしたいと考えていました。

そして、僕に安心感を与えてくれた指圧治療院の茶髪の先生のようになりたいと思うようになっていました。

 

あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得する為の専門学校は、当時3年間で約350万くらいかかりました。さすがに親に出してもらうわけにはいかないので、自分で稼ぐことにしたのです。

そうなると部活をしていてはバイトをする時間を確保することが出来ません。

部活を辞める。

この決断は震えるほど勇気がいることでした。

 

しかし、この決断をきっかけに僕の周囲の環境が変わり、考え方も行動も、そして慢性腰痛も変化していくことになったのです。

 

第5章 悩んで苦しんでたどり着いた考えは、大したことなかった(笑)

 

決まったふたつの覚悟。やってやろうじゃないの。

文字通り震えながら退部を宣言し、引き留められながらもなんとか退部することが出来ました。

しかし、その後にキャンパス内で部員にすれ違うのが気まずいのなんの。

これまではにこやかに挨拶していた先輩たちに無視されます。それはもう見事に。

お互い子供だったんですねぇ。思い出したら嫌な気持ちになってきました。

それまでは暇があれば行っていた部室にも行くことが出来なくなり、大学内での自分の存在が急速に薄まっていくような気がしていました。思い出したら寂しい気持ちになってきました。

ちょっとお茶飲んできます。

 

お待たせしました。

しかし、人間は環境に適応していく生き物です。寂しさを感じながらも部活中心の学生生活から、バイト中心の学生生活にシフトしていきました。(勉強も好きな授業はしっかり出ていましたよ!)

もうひとつ大きな変化がありました。

それは、一人の時間が増えたということです。

これまでは合宿生活だったこともあり、キャンパスでも合宿所でもたいてい誰かと一緒にいました。

でも、その集団から離れた僕は必然的に一人でいることが増えたのです。

最初はその感じに寂しさと不安を覚えていましたが、これもまた徐々に慣れていきました。環境を変えるって怖いことだけど、時間とともに適応していくんですよね~。人間ってすごい。

一人の時間が増えた僕の意識は、自然と自分の内面に向いていきました。そうするとどうしても腰痛のことが浮かんできます。この腰痛の原因はなんなんだろう?どうしたら良くなるんだろう?そういえば腰痛を理由にやりたことをやってないなぁ。腰痛だからちょっと。って言うのはもうやだなぁ。頭の中をぐるぐるぐるぐる終わりのない思考が巡ります。

めぐりめぐった僕がたどり着いたのが、

 

「腰痛の俺、カッコ悪くね?」

 

という結論でした。

きっと考えるのに嫌気がさしたんでしょう。笑

 

小池徹平似の甘いfaceを持ちながら、デート中に腰が痛くなってきて何回も立ち止まる。映画を観ていても脚がしびれてくるのでちょこちょこお尻の位置を変える。前も言ったけどちがうよ。誤解なんだ。トイレを我慢しているわけじゃあないんだ。ポップコーンを一人で食べちゃったことは謝るよ。ごめんね。

 

でも、この時に原因は考えてもわからないし、どうやったら治るのかもわからないから、とりあえず「腰痛の僕」はもうやめよう。と決めたのです。

覚悟を決めた僕がやったことは、

 

「怖いと思っていたことをやってみる。」

 

ランニングの時は全力で走るし、市民体育館のジムでもウェイトをガンガンやります。

スノボにも行くようになり、行ったからにはお昼ごはんもリフトの上で食べてガシガシ滑ります。

感じる痛みは、「これで俺は強くなる。」ととらえるようにしました。

 

もうひとつ決めたことは、

「腰のことは考えないで仕事を選ばずにやろう。」

ということです。卒業までにある程度の学費を貯めなければならない。時間は限られている。選んでいる余裕はない。そんな気持ちでした。

 

当時はまだネットでバイトを探してオンラインで応募完了!ではなく、アルバイト雑誌を買って電話で問い合わせて、という時代でした。

めんどくせ〜!笑

あと、ずっと同じ職場でシフトに縛られて、というのも性に合わないなぁ。と漠然と感じていました。さっき仕事は選ばないと決めたって言ったばっかりなのに。笑

そんなわがままボーイの僕にピッタリの場所が見つかります。たしか高田馬場近辺にあった、「学生援護会」?だったかな。うろ覚えですが大学生に短期バイトを斡旋してくれる夢のような場所があったのです。

友人と一緒に訪れてみるとお金を稼ぎたい学生がうじゃうじゃいます。そしてそんなお腹を空かせた学生の群れをよっしゃよっしゃと迎え入れるように、壁一面に求人票が貼られているのです。「仕事の宝石箱やぁ〜!」実際は宝石なんかひとっつもなかったのですが(泣) 

ホントに色々な仕事をさせてもらいました。家庭教師やマーケティング会社の事務、試験監督、シール貼り、イベント会場の設営、片付け、サッカーの試合の運営手伝い、パン工場、宅配便の仕分けなどなど。力仕事もけっこうありましたが、空き時間に仕事があれば働く。そんな日々でした。

長時間座りっぱなしだったり、重いものを繰り返し持つなど、いわゆる腰に悪そうなことをしまくっていたわけですが、身体の疲労を感じることはあっても不思議と腰の痛みや下肢のしびれを感じることはほとんどありませんでした。

 

こうして、

「腰痛の僕をやめること」(カッコ悪いから)

「腰痛を理由にせずどんな仕事でもやる」(切羽詰まってましたから)

この二つを決めて行動したことで、いつの間にか腰痛を感じることがなくなっていき、頭の中から腰痛のことが消えていったのです。

 

第6章 変わりにくいもの。身体が示してくれた道しるべ

 

希望を胸に始まった新生活 ハードな生活に悲鳴を上げ始めた身体

バイト中心の学生生活を送りながらも要領良く単位を取得した僕は、無事に大学を卒業することが出来ました。

そして、大学卒業時には当面の学費の目標金額をクリアしていました。

パチパチパチ。拍手!すごい!えらい!かっこいい!ヒューヒュー!目線こっちにお願いします!

今でこそ恥ずかしげもなく自分に拍手を送り、褒めたたえることが出来ますが、当時は無意味に自分に厳しくて「まぁ、当然っしょ。」とクールぶっていました。硬かったなぁ。カッチカチやぞぉ。

 

そして、4月から朝~夕方まで仕事。夜は専門学校でお勉強。という日々が始まりました。

専門学校には高校卒業したばかりの子や脱サラしてきた人、定年退職後の方など様々な年代の方々が集まっていました。個性も強かったなぁ。そもそも代替療法家になろうって人は自分も含め変わった人間が多いのです。(個人的感想ですよ。)

自宅から少し遠い学校だったので、帰宅時間は23時近く。最初の半年は学校に比較的近い会社で事務のバイトをしていましたが、半年くらいたった頃、学校の授業だけではなくもっと実技を身につけたい。と考えて最初に施術してもらった指圧治療院にお願いして働かせてもらうことになりました。

当時はまだいわゆる徒弟制度の名残がゆるくですが残っていて、色々な面で厳しかったです…。

朝7時半には出勤し、仕事して学校行って23時頃に帰宅。休みは治療院が休みの日曜午後と月曜日の学校が始まるまでの時間。もちろん、しっかり遊びます。後期の学費を前期の半年で稼がねばならなかったので、お金もキツキツです。実家に住まわせてもらっていたので食住はなんとかなっていました。お父さんお母さんありがとう。

 

明らかにオーバーワークの生活も「自分は目標に向かっている!」という気持ちに支えられてなんとかこなしていました。が、身体は正直です。ちゃんと警報シグナルを送ってくれます。身体って素晴らしいですね。でも、当時はシグナルだなんて思わず、身体の専門学校に通っていたにも関わらずなんでこんなに体調悪いんだろ。と思っていました。自分のことはわからないんだなー。

具体的には、腰痛・脚のしびれ・肩こり・吐き気・頭痛・めまい・軽い急性腸炎など。

薬の説明書きみたいですね。笑

幸い腰痛と脚のしびれは以前のように常にまとわりつく感じではなく、単発的に感じる程度で慢性腰痛にならずにすみました。その代わりと言っては何ですが、あちらこちらに症状が出ていました。

そういえばデート中に池袋で腸炎に襲われて二時間くらい動けなかったこともありました。あの時は心配かけたなぁ。元気にしてるかしら。あの時はありがとう!

また話が逸れてしまいました。

 

腸炎で動けなくなった翌日も普通に仕事に行きました。どうかしてるぜっ!

当時はキツイのが当たり前で、休むのは根性なしのすることだ。負けだ。キツイけど頑張らねばならぬ。という狂った価値観にとらわれていたので、仕事や学校を休むという発想がなかったのです。

 

ある人の言葉。変わり始めた価値観。

あまりにも体調不良にあえぐ僕をみかねたのでしょう。ある方がアドバイスをくれました。

ホントに僕は人に恵まれています。

アドバイスは単純明快。

「もっと力抜くことを覚えた方がいいよ。」

というものでした。

真面目でいわゆる「いい子」で育ってきた僕は、人一倍他人からの目を気にする性格でした。しっかりやって認められたい、いや、きちんとやってないと認めてもらえない。という強迫観念のようなものがあったように思います。(このクセはまだ少し残っていますねぇ。)

自分が選んだ道です。無意識に力が入りまくっていたのでしょう。でも、このままではマズい。倒れる。仕事の力は抜けないので、休めそうな授業は休んだりして勉強の力を抜くことにしました。(仕事の力も抜いてみても良かったよなぁ。)

その結果、力抜いても全く問題なかったのです。テストの順位がちょっと落ちたくらいでなんの支障もなし。さらに大事なことですが、周りの僕を見る目も変わらなかったのです。

拍子抜けした僕ですが、少し生きやすくなった気がしました。

他人の目を気にして生きていると、無意識に身体が緊張し続けています。

常に評価されていると無意識にでも思っていると、みんなが敵のように思えてきます。

力を抜いた自分を少し出してみても大丈夫だった僕は、多少の自信がついたのだと思います。

 

第7章 自分で自分を褒めて褒めて褒めまくれ!

 

怖かった力を抜くこと。一人では変われない。

少し力を抜くことに生きやすさを覚えた僕ですが、そう簡単にガラッとライフスタイルは変えられませんでした。小さい時から積み重ねてきた「真面目でいい子でかわいい僕」というものは、とても強固だったのです。前回も少し書きましたが、まだこの僕は残っていますね。いい子でいたい。失敗しちゃダメ。周囲の期待に応えないとダメ。みたいな。あ、顔はジャニーズJr.でも小池徹平でもなくなってしまいました。悲しい…。時の流れは残酷なこともあります。。

それでも楽に生きたいと思っていた僕は、無意識でしたが少しずつこわごわと新しい自分を出していくようになります。それまでの自分からしたらちょっとなぁ。という行為を試してみるようになりました。具体例を挙げると、待ち合わせの30分くらい前には到着していたのを(はやっ!)10分前にしてみたり、飲み会に参加して、他の参加者が酔っ払って話が出来なくなったら途中で帰るようになったり(前は最後までいて介抱していました)、そもそも参加したくないものは断ったり、周りの気持ちより自分の気持ちを優先するようにしていったのです。

これ、めちゃくちゃ勇気がいりました。なぜ勇気がいるかというと、怖いからです。これまでの自分と外れたことをする怖さ。そして、周囲の反応。嫌われたら孤独になってしまうのではないか。という恐怖。ちょ〜こぇ〜。

でも、他者からの反応が怖くてなかなか変えられないけれど、他者がいないと変わりにくいとも思うのです。変化は前後の違いを感じられるから変化したとわかりますし、それまでと違う行動をした自分を受け入れてくれる他者がいることで、安心して進んでいくことが出来ます。

真面目な話をしたらお腹が空いてしまいました。

ちょっとヨーグルト食べてきます。

 

最近、ヨーグルトにドライフルーツを入れて寝かせてから食べることにハマっています。一時期流行ったマンゴーのアレです。とろとろになったフルーツとヨーグルトのハーモニー。ぜひお試しください。

 

話がそれてしまいました。

 

当時、生き方を少しずつ変えていった僕に嬉しい変化が起こります。体調不良が減っていったのです。効率良く授業を受けるようになっていましたが(モノは言いようです)、朝から仕事で夜は学校。という生活自体は変わっていませんでした。それでも少し考え方と行動を変えただけで訪れた大きな変化でした。

たぶん、「〜しなければならない!」「〜するべき!」「〜してはいけない!」と、まなじりつり上げて自分を監視していた自分の目がゆるんだのだと思います。ずっと誰かに監視され続けることを想像してみて下さい。めちゃくちゃ疲れます。しかも監視する役もやっているのです。一人二役です。荷が重すぎます。一人二役をこなすことでピンピンに緊張していた神経とギチギチに緊張していた身体がゆるんだのでしょう。さきほど述べた怖さには、「えっ?!ホントにいいの?大丈夫?」という戸惑いも含まれていたように思います。

 

自分で自分を愛でる。自分が最高の理解者であり応援団だ。

「どうして自分を責めるのですか?他人がちゃんと必要なときに責めてくれるのだからいいじゃないですか。」

アルベルト・アインシュタインの言葉です。

昔の僕も含めて、慢性腰痛になる方は真面目で完璧主義の方が多いと思います。

ミスをしないようにきちんと、やるからにはきちんと。ミスをしたり上手く出来なかったら自分を責める。真面目ももちろん良いんです。素晴らしい特性だと思います。ただ、何でも行き過ぎは良くないですよね。真面目なんだけどちょっと抜けてるくらいが可愛げがあってモテます。間違いありません。

反省は良いけれど、自分を責める。という行為はホントにしない方がいいと思います。自分で自分を責めていると、どんどん自分が嫌いになっていくんです。自分が無力で大したことない無価値な人間に思えてきます。そうすると、自分を粗末に扱うようになったりもします。百害あって一利なしです!

じゃぁ、どうしたら自分を責めないで好きになれるのか?

自分で自分を褒めてしまいましょう。褒めるのに理由はいりません。自分で自分を労わりましょう。労わるのに理由はいりません。自分で自分は幸せだと決めてしまいましょう。幸せであることに理由はいりません。

現在の僕は、辛い思いや失った時間はあったかもしれないけれど、慢性腰痛を経験して良かったな。と思うことが出来ています。

今夜も自分で自分をなでなでして、ぎゅっとして眠りにつきたいと思います。

もし、これを読んでくださっている方とリアルにお会いする機会がありましたら、お互い褒め合いをしましょう。

イケメンの芸能人に似てると言っていただけると、尻尾を振りちぎらんばかりに喜びます。

お待ちしています。(笑)

~おわり~

 

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