SEKAI NO OWARIも言ってるよ!

みなさん、こんにちは。奥野ゆうです。
突然ですが、「SEKAI NO OWARI」というロックバンドをご存知でしょうか?
と、わざわざ聞くのも何だかなぁ。というくらい有名ですね。すみません。
ヒット曲が沢山あるのですが、その中でも僕は「RPG」という曲が好きです。
この曲の歌詞にこのような部分があります。
「方法」という悪魔にとり憑かれないで
「目的」という大事なものを思い出して
悪魔にとり憑かれるって表現いいですねぇー。素晴らしいですねぇー。ちょっと聴きたくなってきたのでイヤホンセットしますね。
お待たせしました。
やはり良い。イントロから良い。壮大な世界が広がっていく感じ。まさに「RPG」。
ドラクエやりたくなってきました。ちなみにドラクエシリーズで一番好きなのは、「ドラクエ5」ですね〜。ビアンカとフローラ問題。世の男子は頭を悩ませたことでしょう。僕はビアンカを選んだ記憶があります。ああいうタイプが…
おっと、話がそれました。
話がわき道にそれてしまうのが僕の悪いくせ。
「方法」という悪魔 「目的」という大事なこと
本来、「目的」を達成するために用いるのが「方法」です。
しかし、悲しいかな、方法に力を注ぎすぎるあまりに、方法がいつしか目的にすり替わってしまうことが多々あります。そしてそのこと自体に気づかない…。
恥ずかしながら僕自身の経験でも、こういうことがありました。
腰痛の方を楽にしたい。=目的
手技(施術のテクニック。目が回るくらい沢山あります。)=方法
目的達成のためには、手技を身につけることが必要だ!
本を読んだり、セミナーに行ったり、一生懸命勉強しました。
勉強したら現場で使いたくなります。習ったことを生かせるか、習った通りにいくか。
習った通りの反応が出た!これは面白い。
よし、もっと深めるために勉強しよう。
なかなか難しい…。
いや、もっと良い手技があるかもしれない、他の手技を勉強してみよう!
(同じようなサイクルを繰り返す。)
なにか違和感を覚えませんか?
そうです。最初の「腰痛の方を楽にしたい(目的)」がどっかにいってしまって、「手技(方法)」を身につけることや「手技(方法)」の正しさを証明することが『目的』になってしまっているのです。結果的に楽になる方もいるかと思いますが、ベクトルが変化してしまっていると言わざるを得ません。
しかも、方法が目的化している時って視野がとても狭くなっています。そんな自分に気づかない。勉強してる努力している苦労している自分ってかっこいいじゃないですか。なにかをやっている感もありますし。ある意味ラクだったんだと思います。本来の目的に向き合わないで済んでいたわけでしたから。
僕自身、長い間この悪魔にとり憑かれていたように思います。
とり憑かれている自分に気づけたのは、ある先生との出会いでしたね。
今でも交流がありますが、ホントに感謝しています。
僕の思い出話になってしまいましたが、ちょっと立ち止まって自分を振り返ってみると、「あれ?」と感じる方が僕の他にもきっといると思います。(笑)
人生はRPGのようなものです。どんな遊び方をしてもオッケーです。楽しみましょう!(うまくキマッたぜ!)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
どんな曲か気になった方はぜひ。